20代で初めてした婚活
21歳になる年にコンピュータ専門学校を卒業した私は、当時秋葉原にあった派遣会社の正社員として入社しました。
ある大手企業派遣社員として入ったのですが、何を思ったのか、故郷の九州へ帰ると言ったのです。 当時、総支給額で19万円ほどでした。時給1,200円弱といった感じでしょうか。
当時は、本当に親係の甘々人間でした。 帰郷して母親に開口一番「結婚相談所に入って結婚しようかな」でした。
仕事から逃げ結婚しようという人生舐め切っていた私でした。
ほどなくして、一人の酪農家の男性と出会いました。それまでには、数人の方とお見合いをしましたが、お見合い時点で、イエス・ノーを出したり出されたりしておりました。
その男性は私が産んだ一人娘の父親なのです。今では考えられないのですが4時間のお見合い時間になりました。近くの駅で仲人さんと会い「あとは若い二人で・・・」という感じだったでしょうか。
どこに行きましょうか?と言われたので「〇〇さんの牛舎が見たいです」と伝え、見に行きました。結果、仮交際をし、真剣交際をし、お見合いから5か月弱で結婚式を挙げました。
まさかの40代後半で2回目の婚活
その後のことは割愛しますが・・・。
ただ一つ言えるのは、結婚相手を決めるのに戦略もなく、どんな人となら自分の幸せが描けるのかもなく、将来どんな人生を歩んでいきたいかも描けておらず、ただただ結婚したいという今考えると間違った考えで婚活をしていました。
何故、間違った考えで結婚に逃げたのかというと・・・ここも割愛いたします。
それから26年後、娘の婚式を終えた1か月後に「2月に話したあの話はどうなったん?」と聞いたことがきっかけになり「俺は来年還暦になるけど、お前と旅行に行く姿が思い浮かばん」という理由が離婚したい理由と言われ「???」と感じました。
しかし、その話しを聞いてすぐに、職場まで離婚届を取りに行きました。当時の私のデスク引出しに忍ばせてあったのです。それが日曜でした。
2日後の火曜には、離婚届を提出し、木曜には、職場に通える場所の賃貸を借り引っ越し業者に見積もりをしてもらい、離婚を言われて7日後の日曜の日中に引っ越しました。
この時に感じたのは、夫婦の絆を構築するのは大変だけど、あっという間に崩壊するもんなんだなと。
そこから、すぐに2回目の婚活を始めました。マッチングアプリを15個くらいやりました。 かなりの人数の男性とメッセージを交わし、LINE通話やそれに似たものを使い、お話ししました。
何名かの男性とも会いましたが、ビジネスに誘われたり、既婚者だったり・・・。(マッチングアプリは非効率というのをとても感じました)
そんな中、名古屋在住の11歳年下の男性と出会いました。お付き合いは10か月ほどでしたが、その間にその男性は自ら福岡県で就職先を見つけ、何故か熊本県で就職先を見つけ最後には静岡県で仕事を見つけ・・・
要は職の定着が進まず転々としていたわけです。更に競馬とパチンコが好きな男性でしたから、そんな男性と一緒に住むのはあり得ないと思い、私から別れを言いました。
当時、娘からは「お母さん、なんでお母さんみたいな人が、そんな地雷男に引っかかるんかなぁ」と言われてしまったわけです。
50代で3回目の婚活
そして別れて2か月後に3回目の婚活を再スタートしました。当時の私は51歳でした。
マッチングアプリ、婚活パーティー、データマッチング型の婚活サービスや結婚相談所といろいろやりました。
そこでとても人となりの良い仲人さんと知り合えました。
彼女からは「一緒に結婚相談所をやりたい」とまで言われたのですが「いや、私は婚活者ですが(;^_^A」という感じでした。
そしていろんな出会いがあった中、一人の男性と出会いました。隣県の男性でしたが、写真を見ると「ザ・おじさん」という感じでした。
スクショして友人に見せると「いい人そうやん」「みゆきちゃんには、もったいない感じするで~」とのこと。
まっ、モノは試しだ!という感じで、お見合いをしました。正直何を話したかは覚えていませんが、この人普通じゃないな、という直感はしました。
20代の頃のお見合いで出会った自衛隊の人となんとなく所作が似ていました。話しを聞くと19歳から8年間、陸上自衛隊に入隊していたらしいとのこと。「あ~、やっぱり」でした。
一旦その男性と仮交際することとなりました。お見合いが、クリスマスのイブイブだったこともあり、お見合いの終盤にお手土産を頂きました。ジョーク好きの私もジョークなお手土産を渡しました。(その話はまた後日)
お見合いから1年弱で一緒に住むようになりました。はい。今では、一緒に婚活カウンセラーとして活動している唯一無二のパートナーとなりました。
Happiest Story
住所:千葉県四街道市和良比近郊